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『私の自利利他』vol.5 長岡西病院・3階北病棟(崇徳厚生事業団Letter令和3年5月号)
長岡西病院の3階北病棟(地域包括ケア病棟)で勤務する柳橋さん 地域包括ケアシステムの基幹的医療機関である長岡西病院。高齢者の皆さまの地域での生活を支える機能をさらに強化するため、「地域包括ケア病棟」を令和3年3月に開設した。 病棟開設に伴い、地域包括ケア病棟である3階北病棟へ配属された一人が、この春で新卒入職後4年目を迎えている柳橋美希(やなぎばし みき)さん。出身校は崇徳厚生事業団グループの長岡看護福祉専門学校(現・長岡崇徳福祉専門学校)だ。 「看護師以外の仕事をしたいとは思わない」 小さなころから看護師を目指していた、というわけではなく、高校で進路に迷ったとき、家族の勧めをきっかけに専門学校の看護学科を目指した。実家が自営業をしていたため、小さいころから大人と話す機会も多く、人と接することは好きだった。周囲の勧めで選んだ道で、看護実習など大変なことも多かったが、人と関わる仕事は自分に向いていると感じ、迷いなく看護師を目指せた。いまも「看護師以外の仕事をしたいとは思わない」という。 「1年目は『楽しい』とばかり感じながら仕事ができた」と振り返る。患者さんを目の前にすることで、座学で学んだ知識が改めて深まるのが楽しく、自分が関わることで患者さんがよくなったり、自分がかけた言葉に「元気がもらえた」と言ってもらえることが嬉しかった。 柳橋さんは「1年目はまだ心が綺麗だった」とおどけるように笑ったが、経験を積むにつれて、楽しいだけではいられなくなったのは成長と自覚の証だ。 「優先順位を考えられるようになるにつれて、いつまでに何をやらなければならなくて、そのためにどれを早く終わらせてと“業務”として取り組む意識が増していった気がします。経験を積んで出来ることが増えれば、任されることも増える。1年目のようには、患者さん一人ひとりにじっくり関わって、話して、ということが出来なくなってるな、と思って。」 成長するほどに生まれるギャップを意識しつつ、「この先どうしていけば」と悩むことはなかったという。 「もっと経験豊かな先輩たちは、忙しいなかでも患者さんをよく見て、何がしてあげられるのかをよく考えています。これまでその時々に悩みもありましたが、『自分もこうなりたい』と思える先輩をいつも追いかけてここまでやって来られました。」 “病気だけを看る”のではなく“その人全体を看る” 地域包括ケア病棟は、高齢者が住み慣れた地域でずっと安心して暮らせるようにという地域包括ケアシステムを支える役割を担っており、診療報酬上、入院可能日数が60日というルールがある。柳橋さんがこれまで勤務してきた病棟とは特に大きく異なる点だ。もちろん、“とにかく退院出来ればそれでいい”というわけではない。 「これまで勤務していた3階東病棟は、急性期症状を脱した患者さんでもう少し治療が必要だったり、退院準備が必要な方、退院が難しい患者さんは4階西の療養病棟へ、ADL拡大が必要でリハビリ対象の患者さんは2階北の回復期リハビリ病棟へ転棟していただくのが主な流れでした。でも3階北病棟は『おうちで暮らそう』が合言葉の病棟。お家に帰るのであれば、お薬の管理はどうするのか、ポータブルトイレの片づけは誰がするのか、食事の用意は、と退院後の生活全てを考えて、『今のこの人が元の環境に戻ったとき、何が足りないんだろう』と考えながら毎日看護しなければならない。そこがこれまでとは違った難しさだと感じています。“病気だけを看る”のではなく“その人全体、その人の生活や暮らしを看る”ことがこれまで以上に必要になりました。」 疾患や身体機能、年齢や性別が同じであったとしても、患者一人ひとりが持つ背景は全て違う。それでいて、柳橋さんたち病棟スタッフが関われるのは60日間だけ。決められた期間のなかで自分たちに何が出来るのか、どこまで出来るのか。時に不可能とも感じられる状況もあるなかで、どこかに可能性があると信じ模索する日々だ。 「患者さんとご家族の希望を常に100%叶えてあげられるわけではないんですけど、それでもなるべくご本人ご家族の希望を叶えることを目標にします。例えばご家族に『帰って来てほしいけど、歩けないと家で過ごすのは難しい』と言われたら、まずはリハビリスタッフと相談して、60日間のリハビリでどこまで機能が回復出来そうかを聞いて、もし『杖がないと厳しい』とか『歩行器がないと』という答えであればそれをご家族に伝えてまた相談して。多職種と話してご家族と話してというサイクルを何回か繰り返して目標を決めて、そのためにいつまでに何をしなければならないかを逆算して考えて、それでやっとお家に帰れる、といった感じ。」 「60日間で自宅に帰れるように支援する」という使命 「入院可能日数60日」、「在宅復帰率70%」という診療報酬上の要件。これは、超高齢社会において地域医療を持続可能にするために設定された数字なのだろう。 巡り巡って地域全体にとって恩恵をもたらすこととはわかっていても、現場スタッフの目の前にいるのは机上の数字ではなく、生身の人間である。意地の悪い質問だと思いつつ、「60日間以内に退院」という使命に葛藤を抱くことはないか聞いてみた。 「『60日で帰らなきゃいけない』というのは患者さんの都合ではないので、もっと手厚く、もっと長く看護してあげたいという気持ちとの間にジレンマを感じることはあります。1年目のように、『ただこの人が元気になってほしい』という気持ちだけで働いていたら、この病棟はちょっと苦しいかもしれない。でも4年目になって、『病院が出来るのはここまで』という考え方もしなければならないと感じています。極端な話、病院が無くなってしまえば患者さんたちも居る場所がなくなってしまう。私もお給料がもらえなくなったら困りますしね。(笑)」 単に大人になって折り合いをつけられるようになったというだけではなく、柳橋さんの言葉から、長岡西病院の地域包括ケア病棟には制約や逆境を前に進む力に変える潔さや意思の強さが備わっていると感じた。 「師長や先輩がすごく頑張っている姿を見ていると、やるしかないという気持ちになります。『この人が何とか家に帰れる道を作らなきゃいけない』という師長や主任の考えや想いをみんなが感じて頑張っていると思います。60日間必死に考え抜かないと、患者さんが退院後に苦しくならない環境に帰してあげることはできません。そういう意味で、『患者さんのために』や『自利利他、相手の喜びは自分の喜び』を考えやすい病棟でもあると思います。どうやったらお家に退院させてあげられるのかを病棟のチームで何度も話し合って、看護師だけでなく、医師はもちろんソーシャルワーカーやリハビリスタッフなど多職種に入ってもらってみんなで知恵を出し合って。そうして出てくるものが自分とは違う意見でも、それを良いとこどりというか、ちょっとずつ合わせて、その患者さんにとって一番いい形でお家に帰れる方法を模索して。それで、自宅へ帰ることは難しいと感じていた患者さんが少しずつ良くなって、ご家族も大きな不安なく帰れたとき、大きな達成感・やりがいがありますし、頑張ってよかったなと感じます。」 あどけなさすら感じる表情を見せる20代前半の看護師の口から、これほどまでに成熟した考えが出てくるものかと正直驚き、これが師長や主任をはじめとした先輩方の指導や姿勢に培われたものだとわかると頭が下がる思いであった。 「いまの病棟が大好きで、病棟の皆さんといつまでも一緒に仕事がしたい」と話す一方、高度急性期病院に就職した同期の話を聞いたり、別の病院での経験も活かして長岡西病院で働く先輩の姿を見ると、また違った環境で学び、それを再びここに還元する未来を考えたこともあったという。 まだまだ若く、進むべき道に悩むことは今後もあるだろうが、どのような道を選んでも、地域医療を最前線で支える看護師の一人として活躍してくれることだろう。 <取材後記> 学生時代に面接にいらした時から人懐っこい愛くるしい笑顔が印象的でした。 今回久しぶりにお会いできて、その笑顔はますます輝き、経験や明確な思いが溢れ、ブレない力強さも感じられました。 病棟での撮影中に職員の皆さんが業務の合間に撮影風景を見守られ「いいね~!」「素敵だね!」等とおっしゃられ、カメラにはにかんだ笑顔を向けてくれるという微笑ましい一場面を見られて穏やかな気持ちになりました。それも柳橋さんの人柄によるもの。 多くの経験を積んで、また違った印象の笑顔を見せてくれることを願っています。(取材・編集:医療法人崇徳会 法人事務局経営企画室 瀧澤 真紀子、崇徳厚生事業団事務局 石坂 陽之介) ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ -
【お知らせ】長岡医療と福祉の里無料バスの車両入れ替えを行いました
JR長岡駅前から発着し、健康の駅ながおか、長岡西病院を経由して田宮病院まで往復運行している「長岡医療と福祉の里無料バス」の車両入替を行いました。 これを機にバスのラッピングデザインも一新し、崇徳厚生事業団のロゴマークをモチーフとした緑・黄・青の3色6本のラインをあしらいました。 今後とも長岡医療と福祉の里無料バスを是非ご利用ください。 -
『私の自利利他』vol.4 障害者支援施設 桜花園 生活支援課(崇徳厚生事業団Letter令和3年3月号)
障害者支援施設桜花園で勤務する諸橋さん その名のとおり、春になれば敷地内の並木には満開の桜の花が咲き誇る。障害者支援施設桜花園では、主に知的障害を持つ方へ入所・通所での支援を行っている。 平成30年春、諸橋彩花(もろはし あやか)さんは社会福祉法人長岡福祉協会に新卒採用され、約50名の方へ施設入所支援を行う桜花園・生活支援課に配属された。もうじき3年目を終えようとしている若手職員だ。 「難しそう」と感じ、障害福祉の道へ 生まれも育ちも長岡市の諸橋さんは、長岡向陵高校を卒業した後は高齢福祉の道に進むことを自然とイメージし、介護福祉士を目指して長岡こども福祉カレッジ介護福祉科に進学した。福祉、介護を志す若者は貴重だが、「小学生か、中学生のころに施設にボランティアに行く機会があり、楽しかった」という原体験があったという。 社会福祉士資格取得のため、専門学校3年次からは東北福祉大学福祉学科の通信教育課程に編入、長岡こども福祉カレッジと併修した。当初は高齢福祉分野への道を志向していたが、社会福祉学科で様々な分野の勉強をしたことや、ここ桜花園での施設実習をきっかけに、障害福祉分野へ方向転換した。 「障害者支援施設は利用者さんの年齢層も幅広く、様々な方が一緒に生活していることが不思議な光景に感じました。趣味嗜好も全然違うだろうし、そういう環境での支援は難しそうだなと感じ、興味が沸きました。」 障害者支援施設を運営する法人は他にもあるなかで、就職先は長岡福祉協会と決めていたという。桜花園で実習したことも大きかったが、それ以前から長岡福祉協会には好印象を抱いていたそうだ。 「介護福祉士の実習で長岡福祉協会のこぶし園にもお世話になったのですが、実習の指導担当者が厳しくもしっかりと教えてくれる方でした。ちょっと怖かったけど、カッコいいなと感じました。」 写真に映るとおり、見た目は普通の若い女性だ。ただ、難しい仕事や厳しい環境を自ら求めて進んで行く姿は、世間一般で抱かれている「若者」のイメージとは大きく違う。 「ご利用者本位」とは何か。悩み続けた3年間 現代は“多様性の時代”ともいわれるが、障害者支援施設はその最たるもののひとつかもしれない。学生時代の諸橋さんが予測したとおり、桜花園での支援は難しかった。 崇徳厚生事業団行動憲章『自利利他』には、「ご利用者満足・ご利用者本位」という行動基準が掲げられている。支援者として、常に利用者のためを思って支援方法を模索しているが、「こうあるべき」「こうなってもらいたい」という思いが押しつけになっていないか、支援者のエゴなのではないか、「ご利用者本位」とは何なのか。この3年間、正解のない葛藤は常につきまとった。 「学生時代から自分なりに色んな人と関わってきたつもりでしたが、自分が居た世界は本当に狭かったのだとすごく感じました。同じ障害・病気・疾患、同じ既往歴だったとしても、『この人とこの人は同じ』だと感じたことは今まで一度もなかった。」 「本当に当たり前だけど、みんなそれぞれ一人ひとり違う。『利用者さんは一人の人間であって、みんなそれぞれ違う人で』というような文章は、福祉系の学生ならば誰もが一度は書いたことがあると思う。もちろん私も本心から書いていたけど、実際に目の当たりにしていたわけではなく、今思えばなんとなくそう書いていた部分があったと思います。」 個別のニーズに何とか応えようと日々努力しているが、「色々やっても上手くいかなかったことのほうが多い」とのこと。入職1年目のころ、担当した利用者の課題に様々な工夫をして支援を試みたものの、時間・人員・本人の意欲など壁が多く、上手く定着させることが出来なかったことがあった。 その経験を通して、「上手くいかないことのほうが多いんだな」と正直に感じると同時に、「頑張ろう」とも思ったという。元々は慎重な性格だったが、新しい試みも後押ししてくれる職場の雰囲気・上司からの指導もあり、様々なリスクに配慮しつつも「まずはやってみよう」という考え方に変わってきた。思うようにいかないことばかりでも、前向きに頑張り続けられるのは、支援者という役割・使命への責任感がある。 「『ただ生きていくだけ』なら支援の手がなくても出来るかもしれない。でもそこに『人間らしく』とか『自分らしく』という要素が加わると、支援する人が必要。人間はただ生きるだけではなくて、この世に生まれて生きている以上、『どうしたい』、『どう生きたい』というものがみなさん何かしらある。私たちの役割はそこをお手伝いすることなのだと思います。」 また、障害福祉の仕事を続けるなかでは、障害者が依然として偏見に晒されていることも感じている。 「障害者はすごく偏見を持たれているし、知的障害はなおさらです。よく知らないから怖く感じてしまう人がいるのはわかりますが、実際に自分がこういうところで働いてみると、怖いものではありません。すごく表情豊かな人がいたり、感情の起伏がちゃんとある。びっくりすることは私もあるけれど、理由もなくしているわけではなくて、本人なりに何か意図があり、私たちなら言葉で伝えられるところ、上手に伝える手段がなくて自分なりの表現方法をしているだけ。そういうことを色々な人に知ってほしいです。」 障害者が一人の人間として『人間らしく』、『自分らしく』生きていける地域社会を真の意味で実現するためには、本人や家族などの周りの人、諸橋さんたち支援者だけではなく、地域社会そのものが変わっていく必要がある。 悩みが尽きない仕事を続けるうえで、自分の価値観や支援方法に自信が持てない時はどうしてもある。自分が選んだ言葉ひとつが引っかかって、家に帰ってから自分の中で反省会をすることもしばしば。 そんな時は上司や先輩・後輩に相談して意見をもらって、色々な可能性や選択肢を増やすよう努めてきた。コミュニケーションが可能な方であれば利用者本人の意思を尊重しながら総合的に判断することで、利用者本位でありたいと考えること、利用者にとって利益になる支援、不利益になりかねないリスクを考えることは繰り返し意識して癖をつけてきた。 今の自分を「桜花園の業務は覚えて何とか仕事出来ている人」と表現した諸橋さんだが、「今後も色々な利用者・支援方法・支援者・支援観に触れて吸収し、桜花園の先輩たちのように、後輩から『こういう先輩になりたい』と思ってもらえるような豊かな人間になりたい」とのこと。 お話を伺ってから数週間後、来年度は桜花園から隣の桐樹園へ異動し、障害者やご家族への相談支援に携わると聞いた。同じ障害福祉でもまた大きく違う業務になると思うが、持ち前の前向きさやしなやかさで乗り越え、諸橋さんなりの「ご利用者本位」を日々追求していってくれるはずだ。 <取材後記> 最後までお読みいただきありがとうございます。今年度最後のLetter3月号を発行させていただきました! 取材をするにあたり初めてのことで緊張しましたが、とても楽しい雰囲気で行うことが出来ました。そんな和気あいあいとした雰囲気で出来たのは諸橋さんの人柄のおかげでした。業務中も利用者の方に対しとても優しく寄り添い様々な視点から想いを汲み取ることが出来る方です。一緒に仕事をして諸橋さんから学ぶものが多く勉強になりました。4月より相談業務への異動となりましたが、変わらず優しく寄り添い、諸橋さんらしく業務をしているんだろうなぁと思います。(取材・編集:社会福祉法人 長岡福祉協会 桜花園 阿部 美里、崇徳厚生事業団事務局 石坂 陽之介) ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ -
寄稿『看護学科の閉科と校名変更に際して』(崇徳厚生事業団Letter令和3年3月号)
「長岡看護福祉専門学校」最後の卒業生を送り出す江口郁子校長 令和3年3月31日をもって、『長岡看護福祉専門学校看護学科』は最後の卒業生を送り出して閉科し、残る介護福祉学科は4月1日より『長岡崇徳福祉専門学校介護福祉学科』と校名変更して再出発いたします。 わたくし江口は前身となる長岡福祉学院の開校、長岡看護福祉専門学校への校名変更と看護学科開設、そしてこのたびの看護学科閉科と長岡崇徳福祉専門学校への校名変更に立ち会うこととなり、ありがたいご縁をいただいていることに心より感謝しております。 このたびは機会をいただき、これまでの学校の歩みを思い出と共に振り返り、また、校名変更に際しての展望について、『崇徳厚生事業団Letter』を通じてお伝えしたいと思います。 平成4年(1992年)長岡福祉協会長岡福祉学院が定員50名で開校する際、専任教員としてお声がけをいただきました。昭和62年(1987年)に制定された「社会福祉士および介護福祉士法」によって新たな国家資格とされた介護福祉士は、平成元年に初めての国家試験が行われ、第4回目を迎えたころでした。 私は看護師としての病院勤務、准看護師養成教員を経て、国際交流をライフワークとしておりましたが、国家資格の介護福祉士という専門職が必要となった日本の高齢社会について、自らがより深く学ばせていただき、養成教育にお役に立てればという思いで専門教員の就任を決心いたしました。 緑に囲まれたキャンパスは学生にも人気があり、こぶし園の庭で咲き始めるこぶしの花も心待ちしたものでした。学校の存在と国家資格の介護福祉士をアピールしたい一心で、教員自身が学校パンフレットのデザイン作成に力を合せ、実習指導巡回時にも学生募集訪問の手分けを工夫しました。第一期生はほうきと雑巾だけで全員が掃除に参加し、卒業記念には掃除機を寄贈してくれたことなど、開園当初は学生と教職員が学校づくりに一丸となって歩み始めていたことをよく憶えています。 平成7年(1995年)には定員40名の看護学科が加わり、現在の『長岡看護福祉専門学校』となりました。医療・福祉現場における看護、介護福祉の協働性を踏まえた人材教育の専門学校として、両科併設の専門学校は当時県内初でした。長岡看護福祉専門学校看護学科はそれから26年間の歳月に渡り、総勢895名もの卒業生を輩出したことになります。 平成31年(2019年)4月に開学した長岡崇徳大学看護学部看護学科が、崇徳厚生事業団グループ、長岡医療と福祉の里における新たな看護師養成学校としてスタートしておりますが、長岡看護福祉専門学校看護学科はここで閉科し、ひとつの歴史の幕を下ろすことになります。振り返ると、笑顔と気持ちの良い挨拶で校内を一際明るくしてくれていた学生の皆さんと育ててこられた教員の皆様に感謝の気持ちでいっぱいになります。歴史を繋いだ学年の前途を祝すとともに、大いなる活躍を応援しています。 長岡崇徳福祉専門学校介護福祉学科においては、ジモト(地域)と連携する学校教育を大切にし、地域共生社会に専門的役割を担って貢献する介護福祉士養成を目指します。これはこれまでの長岡看護福祉専門学校の歩みを踏襲するものでもあります。 介護保険法の公布による介護福祉士の需要増や新ゴールドプランによる福祉制度、介護福祉士倫理綱領による尊厳と自立支援など専門職規範の明確化といった様々な外部環境の変化と共に、専門性を備えた介護福祉士の養成に尽力してまいりました。 平成8年(2000年)に介護福祉学科定員を80名へ増加し、92名の入学生を迎えた年もありましたが、学生とのより身近なコミュニケーションや個別支援を大切にするため、教員別のゼミグループによりゼミ活動や研究を進め、教職員連携による教育と学生支援の体制を作りだしました。 平成12年(2004年)には、小千谷さくら病院の院長、長岡西病院の婦長、教員、学生が共同で病院における介護福祉士の協働性と役割について検討を重ねる活動を行いました。その後、小千谷さくら病院、田宮病院、長岡西病院へ介護福祉学科の卒業生が就職し、今でもその役割を繋いできております。また、現在活躍中の卒業生からは、ぜひ母校から就職してきてほしいとの声をいただきます。 介護福祉士の専門性とは、援助を必要とする全ての方々の尊厳と自立を遵守し、その人らしい生活づくり、人生づくりの支援を業とさせていただくことであり、介護と福祉とが切り離せない専門職です。 介護福祉学科においては政策の福祉だけではなく、これからは教育の福祉を進める観点も大切にし、より多くの学生が学べる教育環境と社会的連携への努力も必要だと思います。 また、現在、全国の養成校には多くの留学生が学び、本校も4月からは13名の留学生と共に国際理解も深めていきます。介護福祉士の学びと資格を持って日本で経験を積み、将来的には自国の高齢社会づくりの担い手として活躍する人財としても相互貢献になれるかと思います。 介護福祉学科の卒業生は1345名となりますが、創設50年の歴史を持ち、「自利利他」を規範とする崇徳厚生事業団との連携も益々大切にしながら、同窓生との新たな繋がりも創り、介護福祉士人財育成に寄与したいと思います。 皆さまにおかれましては、今後も変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ -
【お知らせ】YouTubeチャンネル全国社会福祉法人経営青年会にて『すとく・こぶしネット』が紹介されました
全国社会福祉経営者協議会経営青年会のYouTubeチャンネルにて、崇徳厚生事業団の「すとく・こぶし認知症ネット」が法人や事業所、医療と福祉の垣根を超えた好事例として紹介されました。 企画・撮影・出演を崇徳厚生事業団グループの職員が行った力作です。是非動画をご視聴ください。 <第一部> <第二部> <第三部> -
【お知らせ】長岡西病院地域包括ケア病棟の開所式を行いました(医療法人崇徳会)
高齢社会の進展により、医療を一つの病院で完結するのではなく、地域内の医療機関や福祉施設が連携し、地域の皆さまが人生の最後まで住み慣れた地域で自分らしく生きることを支える「地域包括ケアシステム」の実現が求められています。 長岡西病院は、これまでも地域包括ケアシステムにおける基幹的医療機関としての役割を果たすべく尽力してきたところではありますが、さらにその機能を強化するため、地域包括ケア病棟を令和3年3月1日に開所しました。(部分開設。全面稼働は5月予定。) このたび、地域包括ケア病棟の開所を祝し、開所式を2月27日に開催いたしましたのでお知らせいたします。 <メディア掲載> 3月2日付新潟日報朝刊『長岡西病院、地域包括ケア病棟新設 高齢者らの自宅復帰支援』(Web版はコチラ) FMながおかブログ FMながおか日記『長岡西病院に地域包括ケア病棟が開設』 -
【お知らせ】田宮病院感染症対応臨時病棟完成記念セレモニーを行いました(医療法人崇徳会)
田宮病院(医療法人崇徳会)では、新型コロナウイルス感染症に対し、院内一丸となって様々な水際対策・対応を徹底して行い、院内感染の発生を阻止しております。さらに対応力の向上を図るため、今後、院内感染が発生するという事態に至った場合を想定し、旧棟中である9病棟を感染症対応臨時病棟として活用することとしました。 このたび、約2か月の工期を経て竣工を迎えたことを記念して、令和3年2月24日に「感染症対応臨時病棟完成記念セレモニー」を行いました。新型コロナウイルス感染症については、これまで行政をはじめとして様々な感染拡大防止対策が講じられており、予防接種も開始されることとなっておりますが、全国的に収束の見通しは未だ立っておりません。今後とも、患者様をはじめ皆さまの安全・安心を守るため、田宮病院としても継続して適切に対策・対応を行ってまいります。 -
『私の自利利他』vol.3 長岡崇徳大学 大学事務局教務・学生課(崇徳厚生事業団Letter令和3年1月号)
長岡崇徳大学大学事務局で勤務する猪浦さん 平成31年4月に中越地域初の看護大学として開学した長岡崇徳大学は、地域包括ケアシステムを担う人材育成の拠点となることが期待されている。 猪浦拓也(いのうら たくや)さんが長岡崇徳大学の大学事務局職員となったのは、開学を目前に控えた平成31年3月のことだった。 「教育関係の仕事に携わりたい。」 「病院看護師として働く妻の姿を間近にみていて、看護師さんたちを尊敬していた。」 看護大学が開学されることを知り、職員募集に応募した当時の心境をそう語った。 「先生方が思うように授業をしていただきたい」 猪浦さんが所属する教務・学生課の仕事は「先生が授業をする環境を整えることと、学生が勉学に励む環境を整えること」。実に端的に表現された言葉であるが、その一言に集約される教務・学生課の役割は広く深い。 学生達を指導する教員には、大学に所属する常勤教員もいれば、崇徳厚生事業団グループの病院などに所属する学外の教員もいる。この2年間、猪浦さんが特に尽力してきたのが、常勤教員はもちろん学外の教員も授業をしやすい環境を整えることだった。 授業の環境を整えることの困難さについて、「授業実施を承諾していただいていたとしても、どんな学生達の雰囲気で、どんな場所で、どんな環境でやるのか、不安に思っている先生もいる。その不安は、必要な情報を提供することで出来るだけ取り除いて、先生方が思うように授業をしていただきたい。ただ、こちらも先生がどんな授業をするのか、どんな準備が必要なのか等が最初は全く分からないので、そこの調整はやっぱり難しい。」と話す。 開学したばかりの長岡崇徳大学で授業をしたことのある教員は、もちろん一人もいない。しかも、カリキュラムの構成上、学外の教員が担当する授業の多くが2年次までの授業に集中していた。2年間で30人以上もの学外の教員を迎え、環境を整えていくなかでは反省もあったとのこと。「なんとかピークを乗り越えた」と安堵もしている様子だが、今でも悩みながら環境を整えているそうだ。 また、新型コロナウイルス感染症は、その“環境を整えること”をより険しいものにした。「医療機関や福祉施設はそれ以上に大変だと思う」と配慮しつつ、大学でのコロナ禍対応については「とても苦労した」と言い切る。 新型コロナウイルス感染拡大により対面授業が出来ない状況下において、学生達の学びを保障するため、長岡崇徳大学はWeb配信による授業実施を決断した。ただでさえ、教員が授業しやすい環境づくりには苦慮しているが、Web配信による授業は、対面授業とはまるで違う。授業日程も短期間で再調整して計画し直すことになった。 当時について、「学内及び学外の先生へ、配信資料の作成などについて時間を惜しまずに説明した。その結果、Web配信での授業へと急遽変更することについて先生方は理解を示してくださり、『わかった』とやっていただいた。先生方のお力があって授業が出来ているということを改めて実感し、とてもありがたかった。」と話してくれた。 「現在(取材日:令和2年12月8日)は対面授業が出来ているが、コロナ禍は継続中のことで、いつどうなるか分からない。今後も最大限頑張っていきたい。」 まだまだ終わりが見えず、大きな不安が常につきまとう状況ながら、猪浦さんは前を向いている。 開学と同時に入学した学生達は、来年度3年次となり、今度は病院等での臨地実習が本格化していく。実習指導に関する調整は教員が中心に行うが、事務的な調整が必要であれば猪浦さんたち教務・学生課も関わる。崇徳厚生事業団グループ、そして地域との繋がりのなかで猪浦さんが強く意識するのは、今年度末で閉科する長岡看護福祉専門学校看護学科の存在だ。 「忘れてはならないのは、長岡看護福祉専門学校看護学科が地域と信頼関係を築いてきて、我々はそれを引き継がせていただいているということ。学外の先生や実習施設の方たちのご協力があって、何とか専門職養成が出来ている。」 学生と教職員との温かい関係性 長岡崇徳大学では、教員が学業のみならず進路や学生生活全般についてきめ細やかに助言するアドバイザー制や、学生が教員へ相談しやすい時間帯を設定するオフィスアワー制を設けるなど、学生サポートを重視している。学生に寄り添ってサポートする姿勢は、教員だけではなく、猪浦さんたち事務職員も変わらない。 長岡崇徳大学の学生達は、事務職員のことを名前で『猪浦さん』のように呼ぶことが多いそうだ。大学の学生と事務職員とが良好な関係性を構築できている現れではないだろうか。 入学定員80名の看護単科大学ゆえの特性でもあるのだろうが、現在の関係性が作られる背景には、教職員が一丸となって学生を支える取組や、日ごろからのコミュニケーションがある。 「先輩の学生がいないから」と教職員が主体となって行った開学初年度の歓迎会。初めての徳樹祭(大学祭)やサークルの立ち上げサポートなど、やること全てにおいて前例がないなかで、教職員が新しいことを日々試行錯誤し、知恵を出し合い、協力し合って前向きに取り組む雰囲気が自然と作られていった。 また、学生生活をサポートする上では、学生へ注意をしなければならないときもあるが、猪浦さんは「一方的に否定するような言い方はしない」よう心掛けているという。 「入学してきて何も分からないところから、学業に励める環境づくりをしていくのが教務・学生課の仕事。温かく接して前向きになってもらうようにとコミュニケーションしている。」と話す言葉に、猪浦さんの人柄、そして仕事への向き合う姿勢が垣間見えた。 4年という歳月をかけて学生を養成する看護大学の意義の一つには、看護学の関心を深めるとともに、探求し続けるための批判的思考力、創造力および基礎的研究能力などを、時間をかけて養成していくことがあるとのことだ。 崇徳厚生事業団グループが全国に先駆けて実践してきた地域包括ケアシステムにおいては、単一の病院や福祉施設でサービスが完結せず、多種多様な事業所や職種間での連携が不可欠となる。このような地域包括ケアシステムを担う人材として、今、高度な専門知識と探求力・思考力を持ち、自律的に判断出来る看護専門職が求められている。 「街中で、近くにカフェやお店があるキャンパスも魅力的かもしれないけど、ここならば自然に囲まれた落ち着いた環境で、温かい教職員に見守られて、4年間じっくりと学ぶことが出来ると思う。」 愛情ある教職員のもとでじっくりと育てられた学生達が、地域を支える人材として羽ばたく時を心待ちにしたい。 <取材後記> 最後までお読みいただき、ありがとうございます。新しい年を迎え、気持ちも新たにLetter1月号を発行いたしました。 今回はほぼ初めましてのメンバーで取材を行いましたが、同世代が集まると賑やかですね。会話が弾み、あっという間の1時間でした。 日頃、事務室の窓口に立つ猪浦さんは、学生さんの相談に本当に親身になって対応されています。こんなことを言うとご本人はプレッシャーに感じられるかもしれませんが、見習いたいなぁと思うこともしばしば。「温かく接して前向きになってもらうように」という言葉を聞いて、その想いが誰に対しても真摯に向き合う姿に表れているのだと感じました。 開学してまだ間もない長岡崇徳大学ですが、その魅力の1つは「アットホームな雰囲気」です。これからも地域をつなぐ看護力を育むため、教職員が愛情を持って学生さんをサポートしてくれることと思います。 末尾になりましたが、ご協力いただいた皆さま本当にありがとうございました。 次号もお楽しみに! (取材・編集:学校法人悠久崇徳学園 長岡崇徳大学 編集委員、崇徳厚生事業団事務局 石坂 陽之介) ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ -
崇徳厚生事業団Letterロゴデザインコンテストグランプリ受賞者インタビュー(崇徳厚生事業団Letter令和2年号外号)
グランプリ受賞者へ感謝の言葉を伝え、副賞を手渡す田宮崇理事長(写真左)とグランプリを受賞した高橋さん(同右) ロゴデザインコンテスト グランプリ受賞式 崇徳厚生事業団グループの各法人の職員の皆さまより、Letterのロゴを募集する『崇徳厚生事業団Letterロゴデザインコンテスト』を開催しました。 多数のデザイン案のなかから、Letter編集委員会による一次審査、職員投票による二次審査により、田宮病院臨床心理室で臨床心理士として勤務する高橋摩吏(たかはし まり)さんの作品が見事グランプリを受賞しました! 先日行われたグランプリ受賞式では、田宮崇理事長より「このたびはグランプリ受賞おめでとうございます。作っていただいたロゴを活用していきたいと思います。誠にありがとうございました。」と感謝の言葉が伝えられ、副賞として野いちご工房(長岡福祉協会)のお菓子詰め合わせが贈呈されました。 高橋さんが考案したグランプリ受賞作品。約2週間と限られた制作期間ながら、グランプリ受賞も納得のデザイン。 グランプリ受賞者インタビュー ―まずは自己紹介をお願いします。 田宮病院臨床心理室の高橋摩吏です。 出身は新潟市です。新潟青陵大学を卒業後、新潟青陵大学大学院に進み、臨床心理士の資格を取得しました。2019年に入職し、現在は臨床心理士として勤務しています。 普段は心理検査や心理面接、SSTのグループ活動などを通して患者さんと関わっています。 ―絵を描いたり、デザインすることは昔から好きだったのでしょうか? 小さいときから絵を描くことが好きでした。 学生時代は中学・高校と体育祭でパネル係を担当し、大学では施設に設置する看板のデザイン・制作をするボランティアをしていました。趣味として楽しみながらも、何かに活かせないか、誰かのために何か役に立てないかと考えていたと思います。 個人で黙々と趣味に没頭する時間も好きですが、大勢で何かひとつのものを作り上げることも大好きです。様々な人が関わって、自分だけでは思いつかないアイディアを教えてもらい、段々と磨かれていって完成に至る。その過程がワクワクしますし、達成感も大きいです。この感覚は、職場でも忘れずに持っていたいと常々思っています。 ―今回見事グランプリを受賞したロゴデザインに込めた思いを教えてください。 入職後は絵を描くことを趣味に留めていたのですが、臨床心理室の皆さんから「絵を描くことが好きだったよね」「応募してみたら?」とお声がけいただき、今回デザインをすることになりました。 自分の好きなことを覚えてもらっていたことは嬉しかったですし、「期待に応えたい!!」と気合も入りました。 ロゴデザインは、「Letter」というタイトルに合わせて、まるでお手紙のやりとりのように、ほっと心が和らぐようなイメージになるようデザインや色味を意識しました。木から手紙が紙飛行機になって飛んできて、それをキャッチする鳥がいるところがポイントです。 また、崇徳厚生事業団のロゴに使われている緑色・黄色・水色を使うことで、親しみやすく事業団のロゴともリンクしたデザインになるよう工夫しました。 このデザインは、臨床心理室の皆さんに相談し、アイディアをいただきながら作成しました。そのため、私個人のものではなく皆で作り上げたものだと考えています。 気持ちを込めて作ったデザインがグランプリを受賞し、大変嬉しく思います。投票してくださった皆さま、一緒にデザインを考えてくださった臨床心理室の皆さま、本当にありがとうございました。 ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ -
『私の自利利他』vol.2 高齢者総合福祉施設わらび園総務課(崇徳厚生事業団Letter令和2年11月号)
高齢者総合福祉施設わらび園総務課で勤務する土田さん 「苦手な分野やわからないことでも、まずは取り組んでみる」 信濃川の左岸、越路橋のふもとに位置し、「一人ひとりのお年寄りのその人らしい生活を実現するお手伝い」をその使命として掲げるのが高齢者総合福祉施設わらび園である。二児の母でもある土田綾奈(つちだ あやな)さんは、平成30年3月より事務職員としてわらび園で勤務している。 長岡向陵高校、文教大学文学部を卒業後、長岡に戻り、人材派遣会社の営業スタッフ、菓子製造販売会社の事務職員を経て、現職に至る。わらび園への転職は、家庭の都合を優先してのことだったが、これも縁と言うべきだろうか、わらび園で働く土田さんはとても活き活きとして見えた。 土田さんの主な仕事は、購買業務と受付業務である。購買業務は、同じく事務職員として勤務していた前職でも行っていたが、「現場から言われたものを発注すればよかった前職と違い、ここでは自分で製品を選ばなければならないことがある。どんなものがいいのか、どう選んだらいいのかがわからず、最初は戸惑った」という。 また、購買担当としての仕事は発注・納品・支払いに限らない。「パソコンが動かない」、「コピー機が詰まってしまう」といった機器の軽微な不具合の相談は、まずは土田さんに寄せられることが多い。専門家ではない土田さんに出来ることは、とにかく調べることだった。 「昔の自分に比べれば、わからないことでもまずは自分で調べて業務に取り組むようになりました。そこはここに来て変わったところだと感じています。苦手な分野やわからないことでも、まずは取り組んでみること、仕事の範囲を自分で決めないことを心掛けるようになりました。」 得意分野ではないことを求められ、その都度手探りで調べながらなんとか応えていくことは簡単ではないはずだが、土田さんはとても前向きだ。他部署からExcelの表を修正するよう依頼されたときも、使われている関数の意味を勉強するところから始めた。 「今の時代、調べればだいたいのことはわかります。ここで仕事をしなければ学ぶ機会がなかったことを自分で調べることで知識が深まりますし、それで事業所の皆さんのお役に立てているのであれば嬉しいです。そして、事業所の皆さんの手間を省くことで、その時間をケア業務に充ててもらえれば一石二鳥ですよね。」 崇徳厚生事業団グループの共通理念は、「自分や家族、友人が利用したいと思うサービスの提供」である。総務課の職員が利用者へサービスを直接提供することはほとんどないが、利用者へのサービスと無関係なわけではない。総務課の職員が縁の下の力持ちとして支えることで、介護職をはじめとした現場スタッフがより質の高いサービスの提供に力を注ぐことが出来る。そういった意識が、わらび園の総務課では当たり前に共有されているように感じた。 接遇で利用者やご家族に心地よさを感じていただくことで、自分も喜びを感じられる もうひとつ、土田さんが特に心掛けていることが、受付業務における気持ちの良い挨拶と笑顔。つまり、『接遇』だという。 福祉サービスの主役が、直に利用者と接する専門職だとしても、利用者やご家族が最初に接するのは事務職員であることが多い。初めて施設を訪れたとき、最初に対応した職員の印象がそのままその施設の第一印象になる。福祉施設に限らず、どの業界でも言われることではあるが、受付スタッフはまさに施設の「顔」なのだ。 もともと人と話すことは好きで、新卒で営業職を選んだのも、日々たくさんの人に会えると思ったから。新社会人として働きはじめたころ、「人に元気を与える挨拶をしなさい」と指導されたことが心に残っていて、それを今も実践している。 接遇で利用者やご家族に心地良さを感じていただければ、自分も喜びを感じられる。接遇について、「玄関のドアが開いて、すぐに振り向けないことがある」と反省する言葉からは、むしろその意識の高さを感じさせた。 わらび園は長岡市からの委託を受け、越路・小国地域の高齢者福祉に関する総合相談窓口として、『長岡市地域包括支援センターこしじ・おぐに』の事業も行っている。昔ながらの地域のつながりが色濃く残るこの地域では、家族で面倒を見るという意識・責任感が強いがゆえ、福祉サービスの利用に抵抗感を抱いている方もいらっしゃるという。 高齢者福祉サービスを初めて利用するにあたり、ともすれば漠然とした不安を抱えている利用者やご家族にとって、最初に接する職員が土田さんということもあるだろう。そこでの温かい接遇は、利用者やご家族との関係構築を人知れず支えているに違いない。 今後の目標として、「ITパスポート」の取得を目指しているという。他部署からパソコンやインターネットなど情報機器、情報技術に関する連絡や相談が寄せられることが多かったことから、そのたびに単発的に調べるだけではなく、ITに関して体系的に学べるものがないか調べたところ、見つけたのがITパスポートだった。 ITパスポートとは、IT(情報技術)系の資格でありながら、ITを利活用する全ての方を、職種を問わず対象とした国家資格である。資格試験では、ITの知識のみならず、経営戦略やマーケティング、プロジェクトマネジメントなど幅広く出題されるのも特徴だ。 人口減少、労働力不足が今後も益々進展していくなかで、質の高いサービスを持続可能的に提供し続けるには、経営の視点は欠かせない。AI技術、IoTなどの新しい技術を適切に生かし、労働生産性を高めていくのも大きな課題となっている。 「これがまたひとつ自信になるかな」と資格取得へ意欲を語ってくれた土田さん。強い責任感と素直な向上心をお持ちの土田さんであれば、活躍の場は今後もますます拡がっていきそうだ。 <取材後記> まずは今回のLetter制作にあたり、取材にご協力頂いたわらび園職員の皆様に感謝申し上げます。 当初、取材は土田さんのみで行う予定でしたが、「一人では不安…」とのことで当日は佐田事務長も同席されました。取材を進めていく中で「人と関わることが好き」と発言されるだけあって、緊張する状況でも常に笑顔で答えている姿がとても印象的でした。 今後の目標が「ITパスポート」の取得を目指していると発言している土田さんは、とても活き活きとして見えただけでなく、そんな土田さんを隣で微笑ましく見守っていた佐田事務長からも土田さんに対する期待や信頼が窺えたと感じています。そんなお二人から非常に良好な雰囲気の中で仕事に取り組まれていることが伝わってきましたし、今後もわらび園の『顔』として皆さんを優しく出迎えてくれることでしょう。 至らないところもありましたが無事に編集を終えることができました。次号も暖かく見守っていただけると嬉しく思います。(取材・編集:社会福祉法人 長岡老人福祉協会 桃李園 大久保 峻、崇徳厚生事業団事務局 石坂 陽之介) ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ Twitter、LINE公式アカウントで『崇徳厚生事業団Letter』更新情報を配信しています! フォロー&友達追加をお願いします! Follow @Letter_Sutoku ʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔʕ•ᴥ•ʔ