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『私の自利利他』vol.5 長岡西病院・3階北病棟(崇徳厚生事業団Letter令和3年5月号)

『私の自利利他』vol.5 長岡西病院・3階北病棟(崇徳厚生事業団Letter令和3年5月号)

長岡西病院の3階北病棟(地域包括ケア病棟)で勤務する柳橋さん

 

地域包括ケアシステムの基幹的医療機関である長岡西病院。高齢者の皆さまの地域での生活を支える機能をさらに強化するため、「地域包括ケア病棟」を令和3年3月に開設した。

 

病棟開設に伴い、地域包括ケア病棟である3階北病棟へ配属された一人が、この春で新卒入職後4年目を迎えている柳橋美希(やなぎばし みき)さん。出身校は崇徳厚生事業団グループの長岡看護福祉専門学校(現・長岡崇徳福祉専門学校)だ。

 

 

「看護師以外の仕事をしたいとは思わない」

 

小さなころから看護師を目指していた、というわけではなく、高校で進路に迷ったとき、家族の勧めをきっかけに専門学校の看護学科を目指した。実家が自営業をしていたため、小さいころから大人と話す機会も多く、人と接することは好きだった。周囲の勧めで選んだ道で、看護実習など大変なことも多かったが、人と関わる仕事は自分に向いていると感じ、迷いなく看護師を目指せた。いまも「看護師以外の仕事をしたいとは思わない」という。

 

 

「1年目は『楽しい』とばかり感じながら仕事ができた」と振り返る。患者さんを目の前にすることで、座学で学んだ知識が改めて深まるのが楽しく、自分が関わることで患者さんがよくなったり、自分がかけた言葉に「元気がもらえた」と言ってもらえることが嬉しかった。

 

柳橋さんは「1年目はまだ心が綺麗だった」とおどけるように笑ったが、経験を積むにつれて、楽しいだけではいられなくなったのは成長と自覚の証だ。

 

「優先順位を考えられるようになるにつれて、いつまでに何をやらなければならなくて、そのためにどれを早く終わらせてと“業務”として取り組む意識が増していった気がします。経験を積んで出来ることが増えれば、任されることも増える。1年目のようには、患者さん一人ひとりにじっくり関わって、話して、ということが出来なくなってるな、と思って。」

 

成長するほどに生まれるギャップを意識しつつ、「この先どうしていけば」と悩むことはなかったという。

 

「もっと経験豊かな先輩たちは、忙しいなかでも患者さんをよく見て、何がしてあげられるのかをよく考えています。これまでその時々に悩みもありましたが、『自分もこうなりたい』と思える先輩をいつも追いかけてここまでやって来られました。」

 

 

“病気だけを看る”のではなく“その人全体を看る”

 

地域包括ケア病棟は、高齢者が住み慣れた地域でずっと安心して暮らせるようにという地域包括ケアシステムを支える役割を担っており、診療報酬上、入院可能日数が60日というルールがある。柳橋さんがこれまで勤務してきた病棟とは特に大きく異なる点だ。もちろん、“とにかく退院出来ればそれでいい”というわけではない。

 

「これまで勤務していた3階東病棟は、急性期症状を脱した患者さんでもう少し治療が必要だったり、退院準備が必要な方、退院が難しい患者さんは4階西の療養病棟へ、ADL拡大が必要でリハビリ対象の患者さんは2階北の回復期リハビリ病棟へ転棟していただくのが主な流れでした。でも3階北病棟は『おうちで暮らそう』が合言葉の病棟。お家に帰るのであれば、お薬の管理はどうするのか、ポータブルトイレの片づけは誰がするのか、食事の用意は、と退院後の生活全てを考えて、『今のこの人が元の環境に戻ったとき、何が足りないんだろう』と考えながら毎日看護しなければならない。そこがこれまでとは違った難しさだと感じています。“病気だけを看る”のではなく“その人全体、その人の生活や暮らしを看る”ことがこれまで以上に必要になりました。」

 

疾患や身体機能、年齢や性別が同じであったとしても、患者一人ひとりが持つ背景は全て違う。それでいて、柳橋さんたち病棟スタッフが関われるのは60日間だけ。決められた期間のなかで自分たちに何が出来るのか、どこまで出来るのか。時に不可能とも感じられる状況もあるなかで、どこかに可能性があると信じ模索する日々だ。

 

「患者さんとご家族の希望を常に100%叶えてあげられるわけではないんですけど、それでもなるべくご本人ご家族の希望を叶えることを目標にします。例えばご家族に『帰って来てほしいけど、歩けないと家で過ごすのは難しい』と言われたら、まずはリハビリスタッフと相談して、60日間のリハビリでどこまで機能が回復出来そうかを聞いて、もし『杖がないと厳しい』とか『歩行器がないと』という答えであればそれをご家族に伝えてまた相談して。多職種と話してご家族と話してというサイクルを何回か繰り返して目標を決めて、そのためにいつまでに何をしなければならないかを逆算して考えて、それでやっとお家に帰れる、といった感じ。」

 

 

「60日間で自宅に帰れるように支援する」という使命

 

「入院可能日数60日」、「在宅復帰率70%」という診療報酬上の要件。これは、超高齢社会において地域医療を持続可能にするために設定された数字なのだろう。

巡り巡って地域全体にとって恩恵をもたらすこととはわかっていても、現場スタッフの目の前にいるのは机上の数字ではなく、生身の人間である。意地の悪い質問だと思いつつ、「60日間以内に退院」という使命に葛藤を抱くことはないか聞いてみた。

 

「『60日で帰らなきゃいけない』というのは患者さんの都合ではないので、もっと手厚く、もっと長く看護してあげたいという気持ちとの間にジレンマを感じることはあります。1年目のように、『ただこの人が元気になってほしい』という気持ちだけで働いていたら、この病棟はちょっと苦しいかもしれない。でも4年目になって、『病院が出来るのはここまで』という考え方もしなければならないと感じています。極端な話、病院が無くなってしまえば患者さんたちも居る場所がなくなってしまう。私もお給料がもらえなくなったら困りますしね。(笑)」

 

単に大人になって折り合いをつけられるようになったというだけではなく、柳橋さんの言葉から、長岡西病院の地域包括ケア病棟には制約や逆境を前に進む力に変える潔さや意思の強さが備わっていると感じた。

 

「師長や先輩がすごく頑張っている姿を見ていると、やるしかないという気持ちになります。『この人が何とか家に帰れる道を作らなきゃいけない』という師長や主任の考えや想いをみんなが感じて頑張っていると思います。60日間必死に考え抜かないと、患者さんが退院後に苦しくならない環境に帰してあげることはできません。そういう意味で、『患者さんのために』や『自利利他、相手の喜びは自分の喜び』を考えやすい病棟でもあると思います。どうやったらお家に退院させてあげられるのかを病棟のチームで何度も話し合って、看護師だけでなく、医師はもちろんソーシャルワーカーやリハビリスタッフなど多職種に入ってもらってみんなで知恵を出し合って。そうして出てくるものが自分とは違う意見でも、それを良いとこどりというか、ちょっとずつ合わせて、その患者さんにとって一番いい形でお家に帰れる方法を模索して。それで、自宅へ帰ることは難しいと感じていた患者さんが少しずつ良くなって、ご家族も大きな不安なく帰れたとき、大きな達成感・やりがいがありますし、頑張ってよかったなと感じます。」

 

 

あどけなさすら感じる表情を見せる20代前半の看護師の口から、これほどまでに成熟した考えが出てくるものかと正直驚き、これが師長や主任をはじめとした先輩方の指導や姿勢に培われたものだとわかると頭が下がる思いであった。

 

「いまの病棟が大好きで、病棟の皆さんといつまでも一緒に仕事がしたい」と話す一方、高度急性期病院に就職した同期の話を聞いたり、別の病院での経験も活かして長岡西病院で働く先輩の姿を見ると、また違った環境で学び、それを再びここに還元する未来を考えたこともあったという。

 

まだまだ若く、進むべき道に悩むことは今後もあるだろうが、どのような道を選んでも、地域医療を最前線で支える看護師の一人として活躍してくれることだろう。

 

 

 

<取材後記>

学生時代に面接にいらした時から人懐っこい愛くるしい笑顔が印象的でした。

今回久しぶりにお会いできて、その笑顔はますます輝き、経験や明確な思いが溢れ、ブレない力強さも感じられました。

病棟での撮影中に職員の皆さんが業務の合間に撮影風景を見守られ「いいね~!」「素敵だね!」等とおっしゃられ、カメラにはにかんだ笑顔を向けてくれるという微笑ましい一場面を見られて穏やかな気持ちになりました。それも柳橋さんの人柄によるもの。

多くの経験を積んで、また違った印象の笑顔を見せてくれることを願っています。(取材・編集:医療法人崇徳会 法人事務局経営企画室 瀧澤 真紀子、崇徳厚生事業団事務局 石坂 陽之介)

 

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